「 怖くないよ。今日も、大丈夫だよ 」
障害のある方々のケアは、いつにも増して、
気に繊細になる
それは、長い時間、ご家族も一緒に診療に寄り添っていただくから
20歳から10年間、障害のある方々の口腔ケアに携わっていた
みんな違うことを深く観察し知った
たくさんの施設に行って●●症候群と名のつく方たちと接した
健常者の方には、今以上のケアを伝えるにもかかわらず、
障害の方には、虫歯の治療しかできないもどかしさがいつも胸を締め付けた
「 大丈夫だよ 」
同じ言葉でも、今は、あの頃と違う
必要なことに気づいて、こころを差し伸べてあげれていたら、そこには動も受も求もない
子供や、障害のある方、そういった小さな声の方々へ、かわいそう という見方で接すると、傲慢で愛とは正反対になる
けれど、
力のあるもの、力のないものは存在する
男女だって家族だって社会だってそう言える
こころの正しさ、アプローチが問われる
守るどころか、傷つけることにもなる
目を向けられないものにも
無言の中にも
生きている理由がある
石ころ、空き缶、砂、岩、煙草、、、、、、、
ただ そうなるようになっているものに
判断さえも持つことのないものに裸の質を感じる。判断するのはいつも人間だ。
話すことさえできない障害のある方々、
だからこそ、たかが言葉ではない言葉に、一つの体現をおもう
煌びやかなほど囚われてしまう人間
でも本質はそうじゃない
私は私に向かう人生が好きです
何をしても、
こころは何も変わりません
愛することに向かい教わり這い上がり今がある
違和感は勇気をもってはずし
見返りは求めず
焦らず見守りながらケアをさせていただく
新たに、発信していけるように自分の場を持つことに意識を向けています
息子が楽しく毎日過ごせる事も重視しつつ
tumuguとは、あまり変わらないかもしれないけれど、大きくなった視野でたんたんといつになるか分かりませんが、、。
お読みくださり いつもありがとうございます
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